2007年4月16日月曜日

村芝居

あ、あ、阿發、この辺はお前の家(うち)の地面だぜ。あの辺が六一爺(ろくいちおやじ)の地処だ。俺達はそいつを取ってやろう」
 真先におかへ上(あが)っていた雙喜は言った。われわれは皆おかへ上(あが)った。阿發は跳ね上(あが)って
「ちょっと待ってくれ、乃公(おれ)に見せてくれ」
 彼は行ったり来たりしてさぐってみたが、急に身を起して
「乃公の家(うち)のがいいよ。大きいからね」
 この声をきくと皆はすぐに阿發の家(うち)の豆畑へ入った。めいめい一抱えずつもぎ取って船の中へ投げ込んだ。雙喜はあんまり多く取って阿發のお袋に叱られるといけないと思ったので、皆を六一爺さんの畑の方へやってまた一抱えずつ偸(ぬす)ませた。
 年上の子供はまたぶらぶら船を漕ぎ出した。他の者は船室の後ろで火を起した。年弱(としよわ)の者はわたしと一緒に豆を剥いた。まもなく豆は煮えた。みんなは船をやりっ放しにして真中に集まって、撮(つま)んで食った。食ってしまうとまた船を出した。道具を片附けて豆殻(まめがら)は皆河の中へ棄てた。何の痕跡も残さなかったが、雙喜は八おじさん(船の持主)の塩と薪を使ったことを心配した。あのおやじはこまかいからね、きっと嗅ぎつけて怒鳴って来るにちがいない。
 みんなそこでいろんな意見を吐いたが、結局、構うもんか、もしあいつが何とか言ったら、去年あいつが陸(おか)へ上(あが)って櫨(はぜ)の枯木を持って行ったからそれを返せと言ってやるんだ。そうして眼の前で、八の禿頭を囃してやるんだ。
「家(うち)へ帰れば大丈夫だよ。乃公が保証する」
 と雙喜は船頭(みよし)に立って叫んだ。わたしはみよしの方を見ると、前はもう平橋であった。橋の根元に人が一人立っていたがそれは母親であった。雙喜はわたしの母親に向って何か言ったが、わたしも前艙(いちのま)の方へ出た。船は平橋に来て停った。われわれはごたごた陸(おか)へ上(あが)った。母親は少し不機嫌で、十二時過ぎても帰らないからどうしたのかと思ったよ、とは言ったが、それでも元気よくみんなをよんで、炒米(いりごめ)を食わせた。みんなはもうおやつを食べているし、眠くはあるし、早く帰って寝たかったので、すぐに散り散りに別れた。
 次の日、わたしは昼頃になってようやく起きた。八おじさんの塩薪事件は何の問題も引起さなかった。午後はやはり蝦釣りに行った。
「雙喜、てめえ達はきのう乃公の豆を偸んだろう。いけねえなあ、たくさん偸んだ上に、あんなに踏み荒しては」
 わたしは首を挙げて見ると、六一爺さんは、小船に棹さして豆売からの帰りがけらしく、船の中にまだたくさんの豆が残っていた。
「ええ、わたしどもは御馳走になったよ。初めはお前のとこのものは、要らなかったんだが、ね、御覧、お前はわたしの蝦を嚇(おど)かして逃してしまったよ」と雙喜は言った。
「御馳走か――ちげえねえ」六一爺さんはわたしを見ながら櫂をとめて笑った。
「迅ちゃん、きのうの芝居は面白かったかね」
 わたしは頷いて「ええ」と答えた。
「豆はうまかったかね」
「ああ大変うまかったよ」
 六一爺さんは非常に感激して、親指をおこして、得意になって喋舌った。
「さすがは大どころで育った学者だけあって、目が高い。乃公の豆は一粒撰(よ)りなんだぜ。田舎者にゃわからねえ。全く乃公の豆は、ほかのもんとは比べ物にならねえ。乃公はきょう幾らか、おばさんのところへ持ってってやるんだ」
 彼はそこで櫂を押して過ぎ去った。
 わたしは母親に喚(よ)ばれて晩飯を食いに帰ったら、卓上の大どんぶりに煮立ての羅漢豆があった。これは六一爺さんがわたしの母とわたしに食べさせるために贈ってくれたもので、彼は母親に向って、わたしのことを箆棒(べらぼう)にほめていたそうだ。
「年はいかないが見上げたもんだ。いまにきっと状元(じょうげん)に中(あた)るよ。おばさん、おめえ様の福分は乃公が保証しておく」
 わたしは豆を食べたが、どうしてもゆうべの豆のような旨みは無かった。
 まったく、それからずっと今まで、わたしは本当にあの晩のようないい豆は二度と食べたことはなかった。――あの晩のようないい芝居も二度と見たことはなかった。


(一九二二年十月)

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