作家名読み: よこみつ りいち
ローマ字表記: Yokomitsu, Riichi
生年: 1898-03-17
没年: 1947-12-30
人物について: 福島県生まれ。1921年に「父」「比叡」「南北」を発表し、菊池寛に認められる。1923年「新小説」に「日輪」を発表。1924年、片岡鉄兵、川端康成らとともに「文芸時代」を創刊し、新感覚派文学の運動をおこす。代表作として「機械」「寝園」など。1947年12月30日、胃潰瘍にて死去。
一
真夏の宿場(しゅくば)は空虚(くうきょ)であった。ただ眼の大きな一疋(いっぴき)の蠅だけは、薄暗い厩(うまや)の隅(すみ)の蜘蛛(くも)の巣にひっかかると、後肢(あとあし)で網を跳ね(はね)つつ暫(しばら)くぶらぶらと揺れていた。と、豆(まめ)のようにぼたりと落ちた。そうして、馬糞(ばふん)の重み(おもみ)に斜めに突き立っている藁(わら)の端から、裸体(らたい)にされた馬の背中まで這(は)い上(あが)った。
一
真夏の宿場(しゅくば)は空虚(くうきょ)であった。ただ眼の大きな一疋(いっぴき)の蠅だけは、薄暗い厩(うまや)の隅(すみ)の蜘蛛(くも)の巣にひっかかると、後肢(あとあし)で網を跳ね(はね)つつ暫(しばら)くぶらぶらと揺れていた。と、豆(まめ)のようにぼたりと落ちた。そうして、馬糞(ばふん)の重み(おもみ)に斜めに突き立っている藁(わら)の端から、裸体(らたい)にされた馬の背中まで這(は)い上(あが)った。
二
馬は一条(ひとすじ)の枯草(かれくさ)を奥歯にひっ掛けたまま、猫背(ねこぜ)の老いた馭者(ぎょしゃ)の姿を捜している。 馭者は宿場(しゅくば)の横の饅頭屋(まんじゅうや)の店頭(みせさき)で、将棋(しょうぎ)を三番さして負け通した。「何(な)に? 文句をいうな。もう一番じゃ。」 すると、廂(ひさし)を脱(はず)れた日の光は、彼の腰から、円(まる)い荷物のような猫背の上へ乗りかかって来た。
馬は一条(ひとすじ)の枯草(かれくさ)を奥歯にひっ掛けたまま、猫背(ねこぜ)の老いた馭者(ぎょしゃ)の姿を捜している。 馭者は宿場(しゅくば)の横の饅頭屋(まんじゅうや)の店頭(みせさき)で、将棋(しょうぎ)を三番さして負け通した。「何(な)に? 文句をいうな。もう一番じゃ。」 すると、廂(ひさし)を脱(はず)れた日の光は、彼の腰から、円(まる)い荷物のような猫背の上へ乗りかかって来た。
三
宿場の空虚な場庭(ばにわ)へ一人の農婦が馳(か)けつけた。彼女はこの朝早く、街に務(つと)めている息子から危篤(きとく)の電報を受けとった。それから露に湿(しめ)った三里の山路(やまみち)を馳け続けた。
「馬車はまだかのう?」
彼女は馭者(ぎょしゃ)部屋を覗(のぞ)いて呼んだが返事がない。
「馬車(ばしゃ)はまだかのう?」
歪(ゆが)んだ畳の上には湯飲みが一つ転って(ころがって)いて、中から酒色の番茶(ばんちゃ)がひとり静(しずか)に流れていた。農婦はうろうろと場庭を廻ると、饅頭屋の横からまた呼んだ。
「馬車はまだかの?」
「先刻出ましたぞ。」
答えたのはその家の主婦である。
「出たかのう。馬車はもう出ましたかのう。いつ出ましたな。もうちと早(は)よ来ると良かったのじゃが、もう出ぬじゃろか?」
農婦は性急な泣き声でそういう中(うち)に、早や泣き出した。が、涙も拭(ふ)かず、往還(おうかん)の中央に突き立っていてから、街の方へすたすたと歩き始めた。
「二番が出るぞ。」
猫背の馭者は将棋盤を見詰めたまま農婦にいった。農婦は歩みを停めると、くるりと向き返ってその淡い眉毛(まゆげ)を吊り上げた。
「出るかの。直ぐ出るかの。悴(せがれ)が死にかけておるのじゃが、間に合わせておくれかの?」
「桂馬(けいま)と来たな。」
「まアまア嬉しや。街までどれほどかかるじゃろ。いつ出しておくれるのう。」
「二番が出るわい。」
と馭者はぽんと歩(ふ)を打った。
「出ますかな、街までは三時間もかかりますかな。三時間はたっぷりかかりますやろ。悴が死にかけていますのじゃ、間に合せておくれかのう?」
0 件のコメント:
コメントを投稿